SPECIAL
これまで 2020 年と 2023 年に行われ、今年 2 月に 3 回目の開催を迎える「BLARE FEST.」。
この 3 年間隔の爆音祭りは、毎年開催が通例となっている数々の「フェス」の中で異彩を放っている。しかしその一方で、 時間をかけてひとつのフェスを作り上げる精細さとナーヴァスさ自体が coldrain の生態を表していると言ってもいいだろう。
coldrainのメンバー曰く「3年間隔と決めているわけではない」とのことだが、黒光りするほど徹底的に磨き上げられた彼らのサウンドの数々を聴くほど、「やらなくちゃいけないからやる」のではなく「完璧な状態になって初めて世に放つ」というマインドが BLARE FEST.にも通底していると理解できるはずだ。
そして何より重要なのは、coldrain の精神性そのものを表現すべく興されたフェスだからこそ、開催周期にしろ出演者のジャンル感にしろ、通例として定着した「型」の一切を拒んでいるという点だ。彼らが自ら標榜し続けてきた「ラウドロック」は今でこそ数多くのバンドの居場所を表す言葉になったが、coldrain がデビューした 18 年前はまだ、「ラウドロック」は海外のポストハードコアやニューメタルから血を受け継いだ音楽性をプレゼンテーションするための記号だった。つまり日本のシーンの中に土壌すら存在していない音楽を広めるために繰り広げた苦闘の数々が coldrain の基盤だと言えるだろうし、居場所のなかった音楽を掲げるためにメロディックパンクやオルタナティヴロック、 V 系の陣地に攻め行って、その度に自身の音楽を拡張してきた道程が coldrain の音楽の独自性になってきた。そういった意味で、パンクロックもポストハードコアもオルタナも V 系も一堂に会している BLARE FEST.は coldrain の音楽細胞そのものだ。
本フェスの前身「 BLARE DOWN BARRIERS」が開催されていた当時は特に日本のシーンを侵攻していく気概が強かったわけだが、coldrain の名前とラウドロックという屋号が広く知られるようになった今も、様々な音楽を食うことで自らの背骨を太く強くしていこうという根本の精神性は一切ブレていない。
本稿は BLARE FEST.の歴史を振り返る主旨のインタヴューだが、BLARE FEST.を覗けば覗くほど、coldrain というバンドの骨格自体が露わになっていった。
Interview : Yajima Daichi
■前身イベントであるBLARE DOWN BARRIERSも含めて、BLARE FEST.の歩みを振り返り、そしてこのフェスの位置付けを明確にしていくインタヴューにしたいと思っています。まずはざっくりですが、現在のBLARE FEST.は5人にとってどういうものなんでしょうか。
Y.K.C(Gt)「BLARE DOWN BARRIERSは2015年以来やってなかったんだけど、それがBLARE FEST.として形になった2020年の段階で、俺たちの中でひとつ決めてたことがあって。それが、『このフェスは毎年やるものじゃない』ってことだった。当時は、バンドマン主催のフェスが一気に増えてきたタイミングで。正直、毎年似通ったメンツになってしまうくらいなら、数年に一度にして、1回1回をありえないくらい本気のラインナップでやろうって決めたんだよね。BLARE FEST.は、開催のたびに『ありがとう』と思えるフェスだけど、本気な分大変なイベントだし……特に今回は自分達が独立して初めての開催だからリスクも大きい。でもだからこそ、自分達でこのフェスをやり切ることによって名古屋のバンドであると認めてもらえるところがあるんじゃないかなと思っていて。そういう意味でも、BLARE FEST.はcoldrainと切り離せないものになってますね」
Masato(Vo)「主催者として偉そうなことを言わせてもらうと、このフェスって、俺ら自身がcoldrainというバンドに対して『お前らはトリをとる資格があるのか?』って問いかけてる場所でもあるんだよね(笑)。で、その問いに対して、常に“成長した姿”で応えていきたいって思ってる。それってアルバム制作と同じで、何年かに1回しか生み出せないものだからこそ、強烈なエネルギーを込められるというか。逆に言えば、その1年は丸ごとBLARE FEST.に捧げる気持ちでいることで、毎回、新鮮な気持ちで向き合えるんだよね。それに、3年くらいのスパンっていうのは、たとえばTHUNDER STAGE(第3ステージ)に出演してくれたバンドが、次のBLAREでメインステージに上がるっていう成長のインターバルが見えると思ってる。別にBLAREに憧れてほしいわけじゃない。でも、ラウドな音楽で闘ってるバンドたちのシーンの縮図であることは間違いないから。どのバンドがシーンの中で駆け上がっていくのか―それを定点観測できるのが、BLAREの存在意義だし、俺らの楽しみでもある。そういう『メインステージに行くぞ』っていうフェスの形は、京都大作戦以降だと思うんだけどね。“牛若ノ舞台から丘を越えて源氏ノ舞台へ”っていう、あの環境を見て育った世代だからこそ、BLAREでもその気概を見せてもらえたらいいなって思ってる」
■今回の出演者で言えば、この3年でPaledusk、ENTH、Age Factoryがしっかりと自分達の場所を耕しながら駆け上がってきましたよね。
Katsuma(Dr)「特にPaleduskは初回から3回連続で出演してくれていて、THUNDER STAGEからメインステージに駆け上がっていったバンドですよね。もともとBLARE FEST.は『1回で終わってもいいくらいの熱量でやろう』『毎年やる前提じゃなくて1回1回を凄まじいものにしよう』っていう考えで始まっているフェスだけど、初回があんな凄いことになっちゃったもんだから。なおさら『これを超えることができるの?』っていう気持ちになっちゃって。そこからまた作っていくとなると、必然的に数年経っちゃうんですよね。やっぱり自分達がカッコいいと思うバンドしか誘いたくないし、数年の間で新しく出会ったバンドをお客さんに観せたいっていう気持ちが強い。ちなみに、3年に1回って決めてるわけでもないから、今だ!と思ったらいきなり1年後にやるかもしれない(笑)」
Masato「はははは。それも変化球として面白いかもね。まあ、ありがたいことに、『このバンドに出てほしいな』って思える出会いは毎年ある。ただ、BLARE FEST.には確実に通底している空気というか、血みたいなものがあって。だからこそ、そこにフィットするバンドにどんどん出てきてほしいし、そういうバンドが自然と集まる場所にしていけたらいいな、っていう想いで場所作りをしてきた感覚はあるよね」
■BLARE FEST. 2026のホームページの冒頭に「NO RULES ONLY MORALS」という言葉が掲げられています。これはストリートカルチャーの本質であり、ライヴの遊び方における根本理念だとも思うんですね。この精神性こそがBLAREに流れている血なのかなと思ったんですが。
Masato「そうだね。自分たちのワンマンライヴでも感じるけど、最近は若いお客さんも増えてきていて。だからこそ、自分たちの理念を掲げて、共有すべき精神性をしっかり伝えてわかりやすルべきだなって思ったんだよね。BLARE FEST.って、いろんなバンドのファンが一堂に会する場なわけで。それぞれ違うカルチャーの中で育ってきた人たちが交わることで、場合によってはトラブルが起きる可能性もある。でも、その場にいる全員、ロックバンドのシーンで切磋琢磨してきた仲間たちであることは間違いないから。だからこそ、共通する意識をひとつ持てていれば、違う音楽性のバンドを俺らみたいなラウドな音楽性のフェスにぶち込んだとしても、お互いにリスペクトし合えると思ってる。お客さんたちは事前に調べて、理解してから、ちゃんと遊びに来てくれるんだよね。それを信頼している部分もあるし、もしかしたら『NO RULES, ONLY MORALS』で検索した時に、ガイシホールでのcoldrainのライヴ映像が出てくるかもしれない。それを見て、『こんなバンドが主催してるんだから、ヤバいフェスなんだろうな』って思ってもらえたら嬉しい。そういう意味で言うと、『NO RULES, ONLY MORALS』という言葉は“本気で遊びに来る覚悟”っていう思いを表してる気がする。初回からその意識は変わってないし、それがBLARE FEST.の根幹でもあるかな」
RxYxO(Ba)「まあ、俺らにしか集められないメンツだからこその伝説が初回から生まれちゃったしね。たとえばPay money To my Painのライヴだったり、俺らのライヴ直前に機材トラブルが起きて、猪狩(HEY-SMITH)・MAH(SiM)・コイちゃん(Koie・Crossfaith)が何とか乗り切ってくれたこととか。それがBLARE FEST.の付加価値になり過ぎちゃった事実もあって。あそこにあったストーリー自体も、俺らじゃなかったら作れなかったものだから。あれを超えるってめちゃくちゃ大変だし、毎回とてつもないプレッシャーもあって」
■初回の「BLARE DOWN BARRIERS」は2010年。PTP、GLORY HILL、LAST ALLIANCE、Northern19との対バンイベントでした。実はメロディックパンクの色が濃かったんですよね。
Katsuma「そうそう。もともと『BLARE DOWN BARRIERS』って、“対メロコア”という意識で始まったものだったんですよ。俺らが活動する上での意識としてもそうだったし、イベントとしても「このシーンにどう立ち向かうか」という挑戦心があった。メロコアに対抗する気持ちは、かなり強かったと思う」
Y.K.C「実際、『BLARE DOWN BARRIERS』を立ち上げた頃のcoldrainって、むしろメロディックパンク側の感覚で活動していた気がする。当時のツアーも、ラウドのバンドとはほとんど一緒に回っていなくて。むしろ、ラウド同士で固まるのは良くないって思ってた節もあったんだよね。その時に一番元気だったメロディックパンクのバンドに学ぶことがあると感じてて、そこで学んだことをラウドロックの界隈に持ち帰れたらいいなと考えていて。そういう意識がわかりやすく出ていたのが『BLARE DOWN BARRIERS』だった気がする」
■以前Masatoさんにインタヴューした際には「俺らは黒スキニーもDickiesのダボパンも履いたことがある世代だ」というわかりやすい言葉があったんですが、当時「激しい音楽」と言ったら第一にメロディックパンクが挙がっていた状況に飛び込み、まだオルタナティヴだった自分達の音楽を持っていくことで勝っていくという意識だったわけですよね。
Katsuma「それはあったと思う。当時のライヴハウスシーンでは、圧倒的にメロコアを観に来ている人のほうが多かったから。今でこそメロコアもラウドも混ざっているのが当たり前だけど、当時の俺らはアングラと言われていて。その状況を変えるには、たくさんの人に自分たちを観てもらわなきゃいけなかった。そのためにも、メロディックパンクのバンドとの対バンを積極的にやって、壁を壊す必要があったんですよね。メロディックパンクの人も俺らに興味は持ってくれていたし、俺らも彼らのシーンに興味がある。だけど、ジャンル間の橋渡しになるような土壌自体が当時のシーンにはなかった。だから、自分たちで場所を作るしかなかったんだよね。それが『BLARE DOWN BARRIERS』の始まりだった気がするし、ファーストアルバム『FINAL DESTINATION』にも、メロコアへの対抗意識が明確に入っていたと思う」
Masato「『PIZZA OF DEATHのTシャツ着てる人は全員敵だと思ってた』って当時のMCで言ってたし。じゃあ、なんでそんなことを言ったかっていうと、メロディックパンクのカルチャーがめちゃくちゃカッコよかったからこそなんだよね」
Sugi(Gt)「そうだね。最初はやっぱりジャンル間の距離がお互いの戸惑いになってた気がするけど、結局打ち上げとかで話したら人間と人間の付き合いになっていくわけで。そうやって打ち解けることによって、ジャンルの壁が自然と壊れていった気がするんですよね。だからこそ、今ではBLARE FEST.みたいにジャンルに囚われないフェスが作れるようになってきて」
Masato「今は逆に、ラウドロックと呼ばれるシーンが当時のメロディックパンクみたいに敵視されるくらい大きくなってきた気がするんだよね。性格悪い言い方かもしれないけど、ラウド系のバンドが増えすぎて、メロコアの人たちがちょっと肩身狭そうにしてるのを見ると、ちょっと気持ちいいもん(笑)」
■coldrainがラウドロックを掲げて貫いてきたことの証明ですからね、このフェス自体が。
Masato「もちろん、メロディックパンクのバンドはどこでやっても人を巻き込めるパワーを持ってるし、俺はそれをリスペクトしてる。だからこそ、BLAREにもどんどん呼びたいし、それもまた俺らが出会ってきたカッコいいバンドであるのは間違いない。たとえばHEY-SMITHは、俺らの世代におけるメロディックパンクの先頭を走っているバンドだし。彼らの存在は、俺らがこのシーンで対抗しながらやってきたことを表す上で凄く重要。そういう意味で、このフェスの核のひとつだと言ってもいいよね」
■オルタナティヴな音楽性を日本に持ち込もうと頑張ってきたからこそ、いろんなジャンルのバンドと対バンしてきたし、その道のり自体がBLAREの個性になってるわけですよね。そもそも音楽性の話で言っても、メタルに収まらない音楽をざっくり総称するものとして「ラウドロック」という言葉が生まれ、coldrainはそれを牽引して進んできた。その上で、メタルやポストハードコアではなかなか聴くことのなかった2ビートを取り入れてメロディックパンクに対抗してきたことも、coldrainの独自性になっていると思うんですよね。そういう細かいミクスチャー性がcoldrainを無二の存在にしてきたし、その音楽的なキャラクターはそのまま、BLARE FESTのラインナップにも映っていると思うんです。
Masato「そうだね。仮にcoldrainが日本以外で生まれ育ったら2ビートなんてやってないはず」
Katsuma「なんなら、最初は2ビートに対してアンチな気持ちだったし」
RxYxO「ミドルテンポが正義だったからね。だけどメロディックパンクのシーンを見て『BPMが速くないと伝わらないんだ!』っていうのを痛感して。そこから徐々に2ビートも取り入れるようになっていった」
Masato「ただ、重要なのは、メロディックパンクに媚びようと思って2ビートをやったわけじゃないってこと。そのよさがわかったから俺らもやろうっていう感じだったんだよね。で、その当時参考にした先輩が、今回も出てくれるROTTENGRAFFTYと10-FEETだった。彼らって、メロコアのようで実はそうじゃないし、全然違うジャンルに2ビートを自然に組み込んでいた。ある意味、その正解を提示してくれてた2バンドだったんだよね。あと、マキシマム ザ ホルモンもそうかもしれない。その辺りのバンド達と初期から一緒にやらせてもらったことがめちゃくちゃ大きかった。PTPの場合は、俺らやSiMが2ビートを入れるようになったことで2ビートを始めたんじゃないかなって思ってるところもある。なんならPTPこそ2ビートを毛嫌いしてた気がする(笑)」
■その辺りの歴史も振り返っていきたいんですが、まず、2010年に『BLARE DOWN BARRIERS』を初開催した頃のことで思い出せることはありますか。
Sugi「当時のことかあ………」
Katsuma「Sugiはドレッドだった」
Y.K.C「俺はトイプードルみたいな髪型だった」
■(笑)。髪型以外に何かあります?
Sugi「でも、当時から今と変わらない気持ちで『BLARE DOWN BARRIERS』はやってたと思う。絶対に俺らが一番だから、どんなバンドが来ても倒してみせるっていう。それを見せた上で、俺らが日本のロックシーンをかき混ぜるんだっていう野望を持ってたんですよね」
Katsuma「当時俺たちは20歳、21歳くらいで、それ以前はヘヴィでアングラなバンドとばっかり対バンしてたわけですよ。ヘヴィロックが一番カッコいいと信じて疑わなかったから。でもいざcoldrainとしてライヴシーンに出てみたら、お客さんを集めているのはメロコアのバンドばっかりで。その時、俺が気づいたのは、ヘヴィロックやラウドロックが嫌われてるわけじゃなくて、知られていないだけなんだってこと。じゃあ俺らの音楽を見せつけてやれば絶対に勝てると思ったんだよね」
Y.K.C「Katsumaが話したような気持ちはもちろん俺も持っていたんだけど、それと同時に、そもそも自分たちが立てる土壌がないっていうことも痛感して。当時って、『このシーンの者です』っていう色づけがないと、存在すら認識してもらえなかった時代だったから。そういう意味では、coldrainの結成から『BLARE DOWN BARRIERS』を始めるまでの3年くらいは、ロックシーンに対する政治活動をしてたような気がする。まずは、ラウドロックっていうジャンルを政治的な立ち位置として持ち上げないといけなかったというか。単に友達に連れられてライヴハウスに来ました、くらいのお客さんじゃなくて、普段からライヴハウスに通っているようなリスナーに刺さないと、どう頑張ったって俺らの音楽が知られるはずがない。かつ俺らはストリートカルチャーが好きだったから、一歩ずつ昇っていくことを美徳としていたところがあって。そういう自分達の理想とロックシーンに対する政治の両方を併せて、初回の『BLARE DOWN BARRIERS』のラインナップに繋がっていったんじゃないかな。もちろん、当時一番お客さんを集めていたメロディックパンクに対する憧れもあったけど、その中で俺らはラウドロックをやってるんだぜ!っていう主張も強烈に込めていたと思う」
Masato「なんなら『BLARE DOWN BARRIERS』をやり始めた頃は、メロディックパンクに対抗する意識はあったけど、ラウドもメロコアも全部カッコいいから丸ごと楽しんでくれよ!っていう気持ちが強かったよね」
Y.K.C「そうだね。メロディックパンクに勝ってやるぜ!っていう前に、一度『負けました』っていうフェーズが『BLARE DOWN BARRIERS』を初開催した2010年までに実はあって。メロコアを敵対視して始まって、ちゃんと負けた。そこから俺らの考えは変わっていったし、関わるバンドのジャンル感も広がっていったんだと思う」
Katsuma「今でも覚えてるのが、2007年か2008年の『TRUST NIGHT』で。名古屋のクアトロで、Northern19とTOTALFATが出てたのかな。そのイベントのアタマで出させてもらったんだけど、とにかくボコボコに負けて(笑)。あれが最初のボコりだった」
Masato「当時は基本的にボコられてたよ」
RxYxO「(笑)。あのイベントの時は俺が物販に立ってたんだけど、デモがめちゃくちゃ売れて。だから、ライヴとしてはボコられたけど、観てもらえればちゃんと刺さるんだっていう確信にはなったかな」
Katsuma「BUNTA(TOTALFAT)とかと初めて会ったのもあのイベントだったよね。俺らは尖り気味だったのに、あっちは俺らのヘヴィな音楽性に興味を持ってフレンドリーに話しかけてくれて。当然だけど、ジャンルが違ったとしてもめちゃくちゃいいヤツらなんだなって実感して。あ、そういう感じ?って思って急速に仲よくなっちゃった(笑)」
Masato「そう考えると、メロディックパンクとも闘えるようになったなぁって思えたのはいつなんだろうね?」
Y.K.C「それこそ『FINAL DESTINATION』を出して、『BLARE DOWN BARRIERS』を始めた頃かな」
Masato「いや……この前猪狩(HEY-SMITH)と話している時にも思ったんだけど、なんなら今年のハジマザ(『HAZIKETEMAZARE FESTIVAL』くらいからじゃない?」
■ごく最近のことなんだ。
Masato「うん。それこそDEAD POP FESTiVALと比べると、やっぱりハジマザのほうが、メロコアのターフにお邪魔している気持ちが強かったのよ。でも今年のハジマザは、メインステージで全員なぎ倒せたくらいの手応えがあって。2012年だったかな、年間で最も対バンしたのがHEYだったんだけど、それでもメロディックのお客さんが求めてるものと、俺らがやってることは別のことなんだなって感じてた。逆に言えば、そういうことを感じてきた歴史があるからこそ、10年目で出したアルバム(『FATELESS』)に“F.T.T.T”が入ったんだと思う。それくらい、10年経とうが何だろうがメロディックパンクをまだまだ押し返していきますよっていう気持ちがあったっていうことだよね」
■なるほど。
Masato「メロディックパンクとラウドのファンを一気に集結させたのは、FACTだったと思うの。だから10年目のタイミングで、FACTのプロデューサーでもあったエルヴィス(マイク・エルヴィス・バスケット)を迎えたのも、なんか運命的だった。俺らは今でも、自分たちの音楽をアウェーでどう響かせるのかっていう闘いが続いてる気がするし、むしろ、アウェーを求めているところすらある。それこそBLARE FEST.も、こんなフェスがあったらいいよね!っていう理想をマジで実現すればするほど、coldrain目当てじゃない人も来るわけじゃん。そういう環境こそ燃える。トリだから仕方なくcoldrainを観てやるよっていうお客さんのことを思うと、めちゃくちゃワクワクするよ(笑)。そこで喰らわせるのが何よりの楽しみだよね」
■それに加え、Katsumaさんが「昔はヘヴィなバンドとばかり一緒にやっていた」と話していましたが、coldrainの場合はヘヴィロックのシーンでも浮いていたんじゃないかなと思うんですよ。何故なら、ラウドでヘヴィで獰猛なサウンドだけど、楽曲自体はポップだから。
Sugi「まさに。どっちつかずなバンドだった(笑)」
Y.K.C「当時のラウドミュージック、ヘヴィロックのシーンは、俺らよりもさらに上の世代が中軸だったんだよね。だから俺らが聴いていた海外のニューメタルとかスクリーモとは違う、細かく言えば、『ヘヴィ』の中でも違うジャンルのバンドが多かった。もちろんリスペクトはあるけど、俺らはより若い世代に向けて『coldrainをきっかけに海外のロックを聴いてくれたらいいな』っていう気持ちで活動していたかな。HoobastankやLINKIN PARKって、洋楽に興味がない人にも興味をもたせてくれるバンドだったし、じゃあ俺らも日本人としてそういうバンドになれたらいいなっていうのがテーマになってた」
Masato「でも、そうなるためには、まず日本のシーンをひっくり返さないといけない。海外に行くにしたって、日本に俺らの音楽の足場がなければ意味がないから。そういう意味では日本のシーンの中に大きな居場所を持っているバンドへの憧れがあった。単にエクストリームなだけじゃ伝わらないから、どう伝えるかっていう塩梅を凄く考えてたと思う。だから、当時一緒にやっていたヘヴィミュージックのバンドに対して『それだと日本で活動できる幅は狭いよ』って思ってたんだよね。たとえば初期のCrossfaithが『俺らは海外で活動できればいいんで』って言ってた時、それに安心した俺がいて。あれで『この音楽で日本をひっくり返すんで』とか言われてたら、『何やってんの!?』ってなってたと思う(笑)。だからね、coldrainは言うほど海外のバンドだけに憧れてきたわけじゃないし、最終的には海外に行くぞ!っていう感じだったわけでもない。まずは日本で音楽を確立させること。それが何より重要だったんだと思う」
■じゃあ、日本にラウドロックを根づかせるために闘ってきたcoldrainにとって、ガソリンになってきたのはどんな気持ちだったんですか。
Y.K.C「そこは凄く単純だった気がする。俺らが好きな音楽を広めることによって、たくさんの人と共有したかった。好きなものを人と共有できるのって、凄く楽しいじゃん。その広めるために越えるべき壁リストを作って、ひとつずつ潰していく。そのリストを埋めていくこと自体が快感だったんじゃないかな」
■こうして振り返っても、海外進出へ向けたビッグドリームを掲げてきたというより、日本のシーンとの距離感に頭を悩ませてきた歴史ですよね。で、日本で闘ってきたからこそ、水を得た魚のような状態になっているのが今だと思うんです。ストリーミングサービスの台頭によって、かつてガラパゴスと呼ばれた日本のシーンにアジャストするために試行錯誤してきた独自のラウドロックが、「世界有数の個性」という言葉に反転している。
Masato「確かに、そうかもしれない。いろんな経験をしてきた中で感じるのは、結局、何も意識しないことが一番ワールドワイドなんじゃないかっていうことで。世界を意識すればするほど、どこか日本で通じなくなる。逆に日本で勝たなきゃって意識しすぎると、世界に届かない。その堂々巡りに対して頭を悩ませること自体がナンセンスだったなって。それよりも、自分たちが置かれた状況の中で、必死に磨いてきたものを貫くことこそが、最終的に『唯一無二』というところに繋がるんだと思う。ここまで闘ってきたからこそ、どこを獲りに行くかなんて、もう考える必要がないんだよね。昔は海外がどうとか日本で勝たなきゃとか、そういうことを考えながら動いていた気がするんだけど、それをひっくり返してくれたのは海外のファンだった。彼らは、邦楽とか洋楽とかっていう線引きをしてない。歌詞を見ずに聴く人は海外にもいるし、ヘヴィだからっていう固定観念が存在するのも実は海外も一緒。でも、何のレッテルも貼らずに音を聴いてくれる人たちだって、確実にいる。そう考えると、日本と海外っていう線を引く必要はないんだなって実感して。もう何も考えずに、ただ自分たちの音を鳴らすだけでいい。それが、結果的に一番ワールドワイドなオリジナリティになっていくんだと思ってる」
Y.K.C「今の時代だからこそ、俺らがやってきたことがオリジナリティとして改めて注目されるっていうのは、俺も思っていて。だから最新作の『OPTIMIZE』は、スマホじゃなくてガラケーで作ったような作品なんだよね(笑)。タッピングを多用する感じとか、ちょっと懐かしい手法を今の技術でやったらどうなるのか?っていうイメージだったから。俺らが影響を受けてきた音楽を、素直に前に出してみた。それが逆に今の音として受け取られるんじゃないかなって。何なら、ガラパゴスでいいじゃんって思ってるもん。ガラパゴスで培養された音楽こそ、世界的に見れば唯一無二の個性になるでしょ?っていう。日本的な感覚って、勝手に曲に滲むだろうし、わざわざ海外のトレンドとかを追わずとも、それぞれオリジナルなものを面白がれる時代になったんじゃないかな」
■coldrainが再び海外展開をスタートしたことも腑に落ちる話です。そして再び振り返るんですが、2011年の「BLARE DOWN BARRIERS」ではONE OK ROCK、OUTRAGE、Fear, and Loathing in Las Vegas、HEY-SMITH、lynch.、RUNNERS-Hiを招き、2012年はMAN WITH A MISSION、SiM、ROTTENGRAFFTY、girugamesh、UPLIFT SPICE、HEY-SMITHを迎えています。
Katsuma「なんだそりゃ(笑)。結成から5年でそんなことやってんのか」
■面白いなと思うのは、lynch.やギルガメのようなV系出身のバンドがメタルコア化していった流れと合流していったこと。もうひとつは、Fear〜のように、絶叫のある音楽をハイなレイヴミュージックにしていったバンドも歓迎していたことなんですね。音楽の多種多様さをより一層面白がる場所として「BLARE DOWN BARRIERS」が拡張されていったことを感じるラインナップなんですが、当時のことで思い出せることはありますか。
Masato「そういうラインナップになったのもシンプルな理由で、俺らが喰らわされたバンドだけを呼んだらそうなっただけなんだよね」
Katsuma「そうそう。ギルガメやlynch.も、俺ら自身が壁を壊されたバンドだったから」
Masato「俺らが一番やりたいと思っていた音楽を、日本語の歌詞も含めて、ギルガメが『MUSIC』(2008年)っていうアルバムでやっちゃってたの」
RxYxO「デジタルハードコア寄りのこともやってたしね」
Masato「例えばLas Vegasも、絶対売れねえだろ!って思っちゃう音楽を、ちゃんとたくさんの人にわからせたバンド。一貫して、俺らのことをボコボコにしたバンドしかBLARE FEST.には誘ってないんだよね」
Sugi「ギルガメに呼んでもらって一緒に回ったツアーはいまだに覚えてるもんね。彼らのライヴも音源も、人生で五本指に入るくらいの衝撃だったから。自分の中の『洋楽が好きだ』っていう気持ちをぶっ壊されたし、正直言えばV系に対する偏見もあったけど、それもひっくり返された」
Masato「今だから言うけど、ギルガメみたいなバンドこそ、俺らのシーンに影響されて欲しくなかった。あのまま突き抜けて欲しかったもん。ヘタに影響されるより、純粋培養されたほうがよかったはず。そのまま行ったら、THE MAD CAPSULE MARKETSの正当なる後継者になってたんじゃないかなと思うくらい。だけどまあ、俺らにとってのメロコアがV系にとってのラウドロックだったんじゃないかなっていう気がするけどね。壁を壊すことで、そこでも勝ちたいと思う存在っていうか」
RxYxO「MUCCのミヤくんと話しても、実際のところはLimp BizkitやKORNが青春だったと言うわけ。だから本当はそれをやりたかったんだけど、当時の日本で下火だったヘヴィロックに手を出せないままでいたらしくて。だからこそ俺らと合流したい気持ちを持っていたみたいで」
Masato「DIR EN GREYが世界に行けたのも、V系の血を混ぜた完全にオリジナルなメタルコア。それが世界への突破口になるっていう。lynch.の葉月くんとご飯行った時に『V系とラウドロックの違いって何ですか?』って訊いたんだけど、『メイクしてるかどうかだけ』と答えてくれて。なるほどなあと思ったな」
■そうしてひとつずつ壁を壊していき、接続するシーンも拡張していき、今のところ『BLARE DOWN BARRIERS』は2015年が最後になっています。2015年はツアー形式での開催で、FACT、BLUE ENCOUNT、[Alexandros]、ACIDMAN、Crystal Lakeなどと共にツアー形式での開催でした。この時期はRAW POWER MANAGEMENTと契約して海外進出も果たし、『VENA』をリリースしていた頃ですけど、日本国内でもアリーナクラスのバンドと対バンをしているという。いろんな意味でマルチタスクをしていたのがこの時期のように思うんですが、振り返るとどうですか。
Y.K.C「その頃、Warped Tourにも出てたもんね」
Masato「一番イケてる気でいた時代じゃない?(笑)。何かを達成した気でいたっていうかさ」
Y.K.C「無心でやっていれば何とかなると思ってグワーッと走っていたのは間違いないんだけど、その分、周囲にあるものがわからなくなっていた時期というかね」
Masato「今の俺が当時の自分達を見たら、お前らまだまだだよ?って思っちゃう。届けないといけないところがまだたくさんあったのに、何となくひと区切りをつけて海外に目が行っちゃったんだよね。線を引かずに日本も海外も両方見なくちゃいけなかったんだけど、海外いけるっしょ!っていうモードに振り切っちゃった。そしたら日本のファンが『ん?』っていう感じになっていって」
Y.K.C「自分の好きなバンドが海外で頑張っていたら嬉しいよね?っていう気持ちでいたのが正直なところなんだけど、実際はそんなことなくて。『日本のファンを無視するんだ』みたいな感じになっちゃって。集客もちゃんと減ったもんね、あの時期は」
Masato「海外で挑戦している俺らを応援してくれると思ってたけど、あの時の自分たちは日本のファンに何を届けるのかっていう視点が完全に抜けてたね。一番の勘違いは、ここで世界に行かないと日本でデカくなれないっていう考え方だったんだよ。日本でできることがまだまだあったのに、答えを外に求めてしまったというか。早過ぎたわけではないんだろうけど、当時の俺達の感覚を思うと、早かったんだろうね」
Y.K.C「そもそも海外で活動するイメージが具体的にあったかどうかって言われたら、それもなかったからね。」
Masato「それこそ2015年の『BLARE DOWN BARRIERS』の後は全然やってないっていうのも、俺らの勘違いを表してるよね。2015年の『BLARE DOWN BARRIERS』をやって以降は完全に海外にシフトしたから、せっかく面白い自主企画なのに二の次になってしまったっていう。で、その間にDEAD POP FESTiVALが屋外フェスに拡大して、ハジマザもそうなって。俺らだけが遅れをとる感じになっちゃってた」
■そして2016年に『VENA』のジャパンツアーがあって、2017年に『FATELESS』がリリースされ、2018年の日本武道館に向かっていきました。この1年で日本での基盤を見つめ直したのかなと思うんですが。
Y.K.C「まさに。『FATELESS』のレコーディングスタジオに着いたところで、『俺らは日本武道館でライヴをやります』ってチームに宣言したんだよね。俺らにとって初めて、バンドとしての目標を定めて動こうってことになった。そこを見据えた上で『今のままじゃ武道館で闘えない』っていう話になり、『FATELESS』に臨んでいった。そういう順番だった」
Masato「で、『FATELESS』の制作から1年経った2月の10周年記念でやった武道館が『BLARE FEST.』に繋がっていて。俺らの初武道館だからっていう理由で来てくれたのもわかるんだけど、想像以上にめちゃくちゃたくさんの仲間が来てくれたんだよね。その時に、みんな2月の頭は暇なんだなってことに気づいた」
■なるほど(笑)。だとしたらブッキングも捗るぞ、と。
Masato「ガチでその会話をしたからね。で、じゃあ2年後の2020年に向けて、2月の一週目を目がければフェスがやりやすいんじゃないかっていう話になって」
Katsuma「実際、2020年の『BLARE FEST.』に出てくれたバンドの半分くらいは、俺らの武道館に来てくれたメンツだし」
Masato「そうそう。フェスをやるなら屋外でやる気はなかったし、じゃあ2月にやればいいラインナップを揃えられるだろうと。武道館の日に、そのことに気づいて(笑)。それが『BLARE FEST.』に繋がったし、『BLARE FEST.』が2月の一週目に開催されるのには、そういう理由がある。それに、あの日本武道館をやって初めて、デカい会場に対する憧れが芽生えたんじゃないかな。『ライヴハウス武道館へようこそ!』なんて嘘ばっかりだと思ってたけど、本当に思えたから。そこから、全部のアリーナ踏んでみたい!っていう気持ちが生まれていったんだと思う」
Katsuma「今も覚えてるけど、武道館のライヴが終わってステージを降りた直後にMasatoが『もうちょっとイケるな』って言ったんだよ」
Masato「ははははははは」
Masato「一瞬で終わっちゃったから、噛みしめる余裕がなかったんだよね(笑)。こんなに準備したのに楽しむ余裕がなかったなって」
Sugi「ライヴの記憶が全然ないもん」
Katsuma「俺も人生で一番緊張した(笑)」
Masato「やっぱりみんなそうなんだな。『FATELESS』というアルバムを作った1年を含め、俺らのすべてにおいて一番デカいターニングポイントは、あの日本武道館だったんじゃないかなと思う。あの日に日本武道館でライヴをしていなかったら『BLARE FEST.』は絶対になかったし、観に来てくれたバンドマンの面々を思い浮かべて『この人達がいればフェスがやれるかな』と思えたから開催を決意できたのは間違いない」
■そして「BLARE FEST.」を開催する時に、モチベーションはどういうところにあったんですか。「BLARE DOWN BARRIERS」を始めた時に「壁を壊す」というテーマを掲げていたcoldrainは実際に壁を壊せたわけで、そのイベントをフェスにするにあたり、今度はどんなテーマにしていったんですか。
Y.K.C「2020年当時、すでに日本各地でバンド主催のフェスが定着してきていた中で、『BLARE FEST.』のラインナップは異質だったと思うし、知名度の大小の差はあるにせよ、普段の生活ではなかなか出会えないアーティストがうちのフェスには多かったんだよね。それはやっぱり、俺らがBLARE DOWNしてきたものを形として証明したいっていう気持ちがあったからだと思うし、お客さんの中にラウドロックを毛嫌いしている人がいるなら、それもまたBLARE DOWN BARRIERSしたかった。coldrainが壁を壊すことでここまできたバンドなので、壁を壊して新しい世界を見るのは楽しいことだよっていうメッセージを発信したかったんじゃないかな。今度は壁を壊させるほうに行ったというか」
Masato「ジャンルに壁なんて最初からない下の若い世代のバンドが出てきたのも大きいよね。04 Limited SazabysやTHE ORAL CIGARETTESみたいに、俺らのケツを叩く前に登っていったバンドたちがいたから、壁が既にぶっ壊れている前提で凄く柔軟なフェスとして開催できてると思う。なんなら今回が、過去一でラウドなフェスとして偏ってるんじゃないかな」
Y.K.C「それこそストリート感というか、好きに遊びやすくて、ライヴがカッコいいバンド。今回もそこにはこだわったかな」
■コロナ禍以前と以降で、ストリートという概念自体が物理的にも精神的にも変わったと思うんですね。それに伴ってライヴハウスでの遊び方も自治の精神もガラリと変容したと思うんですが、そういうシーンに対しては、BLAREからどんな働きかけができると考えていますか。
Y.K.C「そうだな……2020年のBLAREはコロナ禍突入直前、2023年はコロナ禍が明けるかどうかのギリギリでの開催だったわけだよね。そう考えると、今回の開催はようやく全部を思い切り遊べる初めての開催になる。それですぐに思い浮かべたのは、2020年から2023年の間に学生生活を送って、全然ライヴハウスやストリートの文化に触れられなかった子達の存在で。マスクをつけた生活が当たり前で、先輩から遊びに誘われることもない。だから、彼らにとってストリートという概念自体が死んでるわけじゃん。だからこそ、そういう若い世代に向けて、まだ死んでないんだよっていうことを伝えられるのがBLAREだと思う。俺らが『NO RULES, ONLY MORALS』を掲げているのはそういうことで。この数年で、遊び方の自由を再提示してきた自覚があるし、それがチケットの売れ行きにも関係していると思っている。苦しい時代を経てもなお遊び場は求められているし、それがBLAREの存在意義になっている気がする」
Masato「3回目の開催ということで、本当はもっと若い世代のバンドにも目を向けたいタイミングではあるのよ。だが、改めて自由な遊び場を提示するっていう意味で、このラインナップが最高なんじゃないかなっていう話になって。年々華やかになっているのも事実だけど、それ以上に、より一層自由な場所として育っていくことが大事なんじゃないかなと思う」
■さらにcoldrainは時代そのものを追い風にして海外進出を果たし、『OPTIMIZE』をリリースして。その上で日本でも自分達の居場所たるフェスを開催できるというのは、今こそあらゆる武器が揃っているんじゃないかなと思います。
Masato「ありがとう。こういうこと言っちゃうとアレだけど、今一番シーンが生きていないのはアメリカだと思っていて。ヨーロッパでツアーを回っていても、改めて、俺らくらいの歴でこういう音楽をやってるバンドが全然いないんだよね。だからこそチャンスだと思ってるし、俺らが貫いて築き上げてきたことを海外のバンドにも観て欲しいから、BLAREには海外のバンドを必ず招いてる。思ってる以上に、世界の現状に比べて日本のシーンは豊かなんだよ。ピュアにやっているロックバンドがまだまだたくさんいるし、それは誇るべきことだっていうメッセージもまた、このフェスには込められているんじゃないかな」